2013.08.13 過去のニュース
ナオコへの手紙 5
ナオコへの手紙
浅香 洋一
イラスト:卒業生 Yさん
5
9月23日、Vin Rouge の栓を開けました。木製の黒くすすけた三本足のテーブルに、3年前からお気に入りになったスティルトンチーズ。ナイフで削って、そのまま口元に運んでいます。早い秋の訪れを感じさせる風に、僕は窓を閉め、そしてまたグラスを手に持ちました。
1時間後、君は、
「今年も帰れなかったの」と朝、ぷっとふくれた顔で鏡を見るのでしょうね。
ごめんなさい。
このパブはロンドン郊外のテムズ河に面しています。先程までは、勤め帰りのスーツ姿がめだち、女性もビールのパイントグラスを持って河面に沈む陽をながめながら談笑していました。ちょうど、大きく河の曲がる場所に橋が架かり、その向こうに夕陽が美しく沈む。デートスポットになっているのでしょう。日が沈むと地元の人々が集まってきました。僕は、仲間達にさよならを云い、ビターからワインにかえました。思い出に出逢う時間になったのです。
ひとりになって唐突に思い出したのは、幼い頃に見た一コマの漫画です。ヤシの木が一本ある離れ小島。一人たどりついた男が、助けを求める手紙をワインの空き壜に入れ、海に流す。
……… 誰に? ………
相手のいない手紙。しかし、書き手の思いがこれほど強いものはないに違いありません。
僕はどうして、この絵を思い出したのでしょう。テーブルの上の壜はもうすぐ、空きそうです。空いた壜に、僕は何を書いた手紙をいれよう。
ちょっと酔いがまわってきました。何を書きたいのかはわかっているのに、書くことが恥ずかしくて。それに、子供っぽい想像ですし。でも、その手紙が、テムズを渡り、大西洋へ。喜望峰を回って印度洋を旅し、島じまをめぐり黒潮に行き当たらなくてはなりません。こんな奇跡が起こるでしょうか。 ……… そう思うと、気が楽になって書ける気がして来ました。そして、奇跡をおこさせるにふさわしいことばも、自然に浮かんできたのです。
「お誕生日おめでとう」