2013.08.11 過去のニュース
ナオコへの手紙 4
ナオコへの手紙
浅香 洋一
4
「風をみました」
今まで見えなかったのもが見えた時、うれしくって、あたりに声を掛けられる人を捜したことはありませんか。僕はひとり。モンゴルの大地で君の名を呼びました。草々をわけ、薙たおし、そして右に左に踊りながら僕を包み、また走り去っていったのは平原を吹く風です。
そしてまた、風に乗った一群の馬、沙塵、乱舞する男たちが現れました。馬をあやつり、仔羊を奪い合う、チンギス汗の昔から受け継がれてきた競技に興ずる男達です。ぶつかり、倒れ、馬を替え、一頭の仔羊をただ一本の杭をさしたゴールまで運ぶ。そのゴールはここから見ることのできない地平線のむこうにあるはずです。
この祭りは、幾日をも費やして行われるといいます。朝日が昇るのを合図にはじまり、誇り高い騎馬民族の勇者の横顔を夕陽が赤く染めて一日が終わります。ゴールに行きつくまで闘いは続き、きまぐれに、そして唐突に一人の勝利者が選ばれます。人々から祝福のことばと、馬の乳の茶が与えられて祭りは終わりをつげました。放牧の日々がもどります。仕事をおえた夜、パオでは寡然な主人を中心とした夕餉の時間が過ぎてゆくのです。柱を背にしてまだ若い母親が、子守り歌をうたっています。
――― 大地は大地のままに 我々は風に乗り
風は丘を越え川を横切る さえぎるものもなく
明日にむかって吹き続ける ……
羊の群れを率いて、他の場所へと移動する時がきました。パオをたたみます。八本ずつに支柱を束ね、フェルトの幕は丸められ馬の鞍に左右に振り分けられます。物干とされた杭も、子供をあやした籠も、みな馬の背に載せられました。囲炉裏の灰さえ掻き集められ、革の袋に入れて持ち去るのです。何も残さず、何もつけ加えず、ここは野営する前の平原に戻りました。地上最大の大帝国は、このモンゴルの大草原として残ったのです。一千年の前から平原であり、これから先一千年も平原であり続けるのがモンゴルの大地。風が生まれる大地なのです。
その風に誘われて、僕もしばらく彼らと共に旅をします。
大地の風にのせた僕のナオというささやきが、男達のあやつる馬の轟きとともに君のもとに届きますように。